中日劇場『南の島に雪が降る』で合唱参加

[size=24][color=green]南の島に雪が降る[/color][/size]が、今日8月14日から名古屋の[size=24][color=blue]中日劇場[/color][/size]で上演されていますが、このカーテンコールで[size=24][color=darkcyan]浜辺の歌[/color][/size]を岐阜の吉田里江さんや主演の元宝塚宙組トップスターの[size=24][color=salmon]大和悠河[/color][/size]さんらとともに合唱をさせていただきました。フィナーレに舞台側から満員の観客前にでれて、とても感動しました。

皆さんもぜひ中日劇場に足をお運びください。

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[img_assist|nid=553|title=|desc=『南の島に雪が降る』のポスター|link=popup|align=right|width=310|height=300]

南の島に雪が降る』(みなみのしまにゆきがふる)は、俳優加東大介の従軍経験手記。初版は1961年9月に、文藝春秋新社(現:文藝春秋)から刊行された。のちに映画化、テレビドラマ化されている。

太平洋戦争大東亜戦争)末期、飢えとマラリアに苦しむニューギニアの首都マノクワリで、兵士の慰安と士気高揚のため作られた劇団の物語。加東大介(本名・加藤徳之助)軍曹が座長を務め、漫画家小林よしのりの祖父(母方で博多出身)も座員で、「快僧曹長 篠原龍照」として登場する。

 

 

あらすじ[編集]

加東大介は、兄が沢村国太郎、姉が沢村貞子と、舞台関係者揃いの家庭で育ち根っからの役者。甥っ子(沢村国太郎の子)2人も、後に俳優長門裕之津川雅彦となった(長門は戦前から子役で活動していた)。当時加東は、劇団前進座に所属していたが、昭和18年(1943年)10月に召集を受けニューギニアに向かった。しかしそこは主力部隊から脱落し見放され、救援物資も届かない最果ての地。戦友たちは飢えとマラリアでバタバタと死んでゆく。いつ戦争が終わるかもわからない。希望が全くない。

そんな過酷な状況で加東大介は、上官からの命もあり、なんと演芸分隊を立ち上げ、熱帯のジャングルの真ん中に日本の舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人など、実に個性的なメンバーと共に、彼らは公演を始める。

ありあわせの布に絵を描いて衣装を作り、ロープをカツラにし、亜鉛華軟膏を塗りたくり白粉にする。いまその舞台を見たら、なんと粗末な舞台だと思うだろう。しかしいつ帰れるかもわからない日本兵にとって、それは夢だった。希望そのものだった。女形の内股の白さに女房を思い、小道具の長火鉢に日本を思う。その舞台を見るまでは死ねない。時には重病人を回復させるまでもの希望が、その舞台にはあった。

長谷川伸瞼の母」の舞台では、紙を使い雪を降らせた場面では、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。加東らは雪景色を充分堪能させてから登場するようにしていたが、ある日の公演で、いくら待ってもしんとしている。不審に思って舞台の袖からのぞいてみると、数百名いた兵隊が皆、涙を流していた。聞いてみると彼らは東北の部隊だった。